後藤まりこの活動休止で考える「カワイイは自分で作られる?」


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後藤まりこが、2月13日に活動を休止した。理由は不明である。彼女の以前のバンドではセーラー服を常に着用しており、過激なパフォーマンスと繊細な歌詞に見られるようにある種の少女性を特徴としていた。

その後のソロとしての活動もまた少女のようなピュアな狂気を孕んだ独特の世界を構築していたように思える。また、インタビューでも見られるように彼女はいつも自分を「僕」と表現しており、それもまた彼女の存在は「少女」であるという主張にも見受けられる。実は、後藤まりこは、とてもクレバーでユニークな女の子だったのではないだろうか?

メンヘラというマイナスな言葉すら彼女は、女の子という形で自分の中に取り込み、あらゆる物を受容し、音楽の中に溶かしていたのではないだろうか?だが、彼女は突然音楽を離れる事になってしまった。詳細な理由も告げることなく。それは、彼女が最後まで「少女」ということならば納得できる気がする。

彼女のように、女の子として表現するアーティストは沢山いる。代表格は、きゃりーぱみゅぱみゅではないだろうか?

原宿系モデルという少女であれば誰もが憧れる王道から彼女は音楽の世界に飛び込んできて、瞬く間に女の子を魅了していく様子は世界中の女の子までも巻き込んだ。

まさに、初期衝動で転がり続けたパンクミュージックにも共通するパワーを感じる。それだけ「カワイイ」という感覚は、受け取りやすい挨拶のような気軽さをもった浸透力のある感情でもあると思い知らされるのである。

だがその曖昧さゆえに、女性アーティストを好感的に見せる事もあれば、刃となる場合もある。
唯一、少女というカテゴリを最初から外していたのは椎名林檎であるといえよう。

デビュー当初から彼女は一貫して女としての表現をしていた。歌詞も常に少女特有の危うさや無防備さを見せながらも常に客観的な視線を投げかけていたように見える。

彼女は、自覚していたはずだ。「少女もいつか年を取ればオバサンになってしまう」と。
それは、世間がいかに女の子という存在を重要視しているかを熟知していたという事でもあるのではないだろうか?

そういう意味であれば、彼女は常に世間に横たわる枠や価値観等と音楽を通して戦いを挑み続けてきた挑戦者であり、勝利を勝ち取ってきたアーティストといっても過言はないのではないだろうか?

そして、彼女の作る音楽はロックである事も追い風となっているのであろう。ロック特有の荒っぽさと精神性が見事に融合した一例とも見て取れる。女性として表現し続ける事の困難さを乗り越え、更にしなやかにしたたかに表現し続けるのも、また女性だから出来る事なのではないだろうか。

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